キングダムおもろー

キングダムの合従軍の話を見て超面白かった.特に蕞(さい)の戦いは,面白い...

中国史に興味があるので,色々気になったことを調べてく.

知りたくなかった事実もたくさんあるが,史実とフィクションを分別付けた上で楽しむのも良き.

蕞(さい)の戦いは事実なのか?

蕞はどこにある?

  • 咸陽の東方に位置
  • 秦の始皇帝(エイ政)の陵墓の一部である「兵馬俑」が近くにある
    • 度重なる戦いの果てに帝位を得たエイ政の墓に兵馬俑を埋葬することの意味をしみじみと実感

“龐煖は精鋭を率いて蕞を攻めるが,不抜.転じて斉を攻める.”

  • キングダムでも述べられているが,史実に書かれているのは上記の記述のみ
  • 実際に,龐煖はこの時老齢であり,李牧が指揮したという記述もない
  • どのように戦ったかも子細な記述がなく,昌平君が英断を下し,エイ政が民兵を鼓舞し,山の民に助けられたこと等ももちろん不明 (そもそも山の民自体が作者のアレンジ(泣))
    • 寡兵であり,防衛が困難だったことは本当だと思う(感想)

蕞は無視できなかったのか?

  • 蕞は,渭水という川に囲まれており,無視して咸陽に攻め込むのはリスクが高い
    •  渡渉している最中に,襲われるのはいくら先鋭部隊でも損害は免れない

なぜ秦国はこんなにも強いのか?

漫画では,演出の事もあり秦国は窮地に追い込まれるような描写が多いが,史実からはめちゃくちゃ強かった可能性が読み取れるらしい

1. 富国強兵を達成した商鞅

〇商鞅 (紀元前390年 – 紀元前338年)

  •  戦国時代の前4世紀の中頃、衛という小国に生まれ、戦国の七雄の一つの魏に仕えて行政能力を発揮、ついで秦に亡命し孝公に仕え、前359年、「商鞅の変法」といわれる改革を実施
  • 法治国家として,平等で厳格な「法」を徹底する

〇商鞅の改革 – https://www.y-history.net/appendix/wh0203-062.html

  • 什伍の制 従来の血縁的な組織に代えて5人を伍、十家を什とする地縁的な隣保組織をつくり、連帯責任を負わせる
  • 同時に一家に二人以上の男子がいれば必ず分家しなければならないとして自作農の増加をはかる
  • 血統に関わりなく実績で爵位を与えるという実力主義の爵位制度を始める
    • 爵位に関わらず,功績があれば讃え,罪を犯せば裁かれる「信賞必罰」を徹底
    • 有能な人材が集まることとなる
  • 中央集権化を推し進め,富国強兵を達成
    • 中央集権により,リソースを集中させ効率的な利用を実現
    • 土地ごとのルールの齟齬を無くし,統治を簡略化
    • のちの始皇帝による天下統一の原型となる

2. 白起の存在

  • 即物的な考え方で,あらゆる戦いで善戦し,領土を拡大していく
  • 同時に冷酷な性格であり,こと「長平の戦い」において趙の捕虜40万人(誇張とも言われる)を生き埋めにしたと史実にある
    • しかし,捕虜の存在は反乱や兵站の問題があり,私情を交えなければ適切な判断だったといえる

3. 兵農一致

  • 徴兵制度を導入し,短期間で大規模な軍隊を編成する事が可能になる

余談 曹操と商鞅

三国時代の大天才「曹操」と似ていると思う.

〇法の順守

曹操は若かりし頃,洛陽(後漢の都)の北側の門番である洛陽北部尉に任命される.その時に曹操は,時の権力者である中常侍・蹇碩の叔父を法を破ったとして撃ち殺した.これはまだ知名度の低い曹操の売名行為ともされるが,法を順守する曹操の考えが如実に表れている

〇実力主義

曹操は,当時では考えられないほどの実力主義だったことが知られている.当時は,儒教による教えが国の基盤となっており,能力より品や礼節が重んじられていた.しかし,その儒学に対抗するようにいくら失礼な人間でも才能さえあれば登用するという「求賢令」を発布する.

〇農民へのアプローチ

兵農一致」を実施した商鞅と「兵農分離」を行った曹操.政策は異なるが,国力に影響する農民の存在感に目を付けた点では共通している.ひたすらに重税を課し,富を吸い尽くすだけの中世のヨーロッパの王族とは大違い.

肩書となる家系や爵位によって歪められることのない「法」や「才」を重用する姿勢が,体裁を無視して富国強兵を行った曹操と商鞅の偉大さである.

2. 弱体化していた列国

  • 春秋時代,魏や斉の国々は,力をつけていたが土地が災いし,他国から袋叩きにされる
  • それに対し,秦国は,他国からの侵攻から守りやすく富国強兵を達成しやすかった
  • 合従軍といえども,強大な秦国に苦戦するのは必至であった可能性
    • 一強六弱だった戦国七雄の姿

3. 鍛え上げられた西北の騎馬民族との闘い

  • これが山の民のモデルではないか
  • 楊端和は秦国の将軍であり民族の長なんかではない
    • そもそも男だった...

参考 (ソースは知恵袋...)

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14175610194

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10209367415

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1446756354

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