先日,高尾山の紅葉を眺めに行きました.
今年は秋の気温が高かったため紅葉もあまり進まず,きれいな紅葉も山頂付近にだけ集中していました.今日も最高気温20度近くあり,なんだかメリハリのない環境になりました...
稲荷山コースで高尾を登り,若干の紅葉を愛で,精神衛生上素晴らしい体験になりましたが,そもそもなぜこんな大変な思いをして紅葉を見に行ってるのかが疑問でした.自分の意志と言ってしまえばそれまでですが,”高尾の紅葉はキレイ”と言われてるから見に行ったに過ぎず,じゃあこの“紅葉がキレイだ”という口コミはどこから始まったのかが気になりました.
日本には紅葉やお花見を始めとした自然を”愛でる”文化があると言いますが,これがいつから始まったのかを簡単に調べました.
自然を愛でる文化が日本で始まったのは,中国で梅の花を観賞する文化が遣隋使によって持ち込まれたからという説があります.つまりは飛鳥時代が発祥です.当初日本でも梅の花が鑑賞されていたらしいですが,それがあるとき対象が桜に代わったそうです.ということは紅葉よりも桜を鑑賞するほうが早かったのかな?
紅葉を鑑賞するようになったのはいつという話に戻ると,それは「紅葉狩り」という言葉を紐解くと分かります.紅葉狩りは平安時代に行われていたそうで,当初紅葉狩りは平貴族たちの上品な遊びだったらしいです.この「狩り」というのは,”(鳥・獣などを)追い求めてつかまえる”という意味だけではなく,“花や紅葉を捜し求めて楽しむ”といった意味もあるそうです.
ちなみに”紅葉狩り”というのに”桜狩り”が一般的ではないのかというと,桜は平安貴族の屋敷に植えてあり,鑑賞は簡単にできました.しかし紅葉は山に赴く必要があり,普段牛車に乗って移動する貴族がわざわざ自分の足で山に登る様子を「狩り」に例えたという説があります.風情がありますね.
ここまでは,発祥の話で自然を愛でる文化は貴族たちの間だけに留まっていました.ではいつから庶民の間でこの感性が広がったのか調べました.一般的になったのは江戸時代だそうで,8代将軍吉宗が行楽の為に各地に桜や楓を植木し,名所を作りました.行楽を促せば庶民のストレス発散になり,庶民たちは桜や紅葉に思いを馳せるようになります.
つまりは,私が紅葉を見に行ったのは平安時代から続く文化の歴史があったからという事が分かりました.今はデジタル技術が発展し,”バーチャル紅葉狩り”という事もできるそうですが,実際に山に登っているわけではないので,”狩り”に代わる言葉が必要になりそうです.